古代の入れ歯
旧石器時代としては、北イタリアで発見された14,000年前の歯には外科的なむし歯治療の痕跡が見つかっています。
むし歯の部分が石器で削られています。楊枝で突いて済むようなレベルではなかったようです。

抜歯については以前縄文時代の宗教的抜歯風習についても触れましたが、現代と同じ除痛や、他部族を威嚇するための風習のために抜歯を行う事もあったようです。
文明が興り、文字の記録が進んでいくと、歯とのかかわりも見えてきます。
5,000年前の古代メソポタミアでは、神官が神に祈り呪術を施すとともに、ヒヨスの種を歯ぐきに塗るなどの処置をした記録が残っています。
そして、現時点で義歯(入れ歯)の原型として考えられる最も古い発見は、
4,500年前の古代メソアメリカで、狼やジャガーの口蓋を意図的に削った前歯の中に移植するという完全に儀式的なものでした。ちょっと想像を超えています・・・
我々にもなじみのある形としては、
紀元前700年ごろ、北イタリアのエトルリア人は、人間の歯や動物の歯を使って義歯を作っていました。

古代ギリシャでは、権力を有した者が入れ歯を作る場合、部下や奴隷の歯を抜いて使用していたそうです。その背景には素材が良くないと入れ歯の不具合が多かったというのがあるためではないでしょうか。抜いた歯を針金で固定したり、金の帯状の板で歯を固定したブリッジの様な形をしたものが墓から出土しています。
その後の古代ローマでは、金、象牙、獣の骨を利用して入れ歯を作っていたようです。
プトレマイオス朝のエジプトでは、自分の抜けてしまった歯を針金などを使い固定することで利用していた痕跡があります。

つまり、古代において入れ歯は、まだ抜けていない歯を固定源とし、金属の針金・板で入れ歯を固定するといった技術が主となっています。
(古代の治療については今後改めてまとめていく予定です)
歴史がありそうな中国では儒教的にNG
宋・明時代には「入れ歯は存在していた」という随筆書が見つかっています。しかし、儒教的な考えのもとに抜けた歯を入れ歯などで補うことはすべきでないという考えが中心であったために、遺跡などからは入れ歯などは見つかっていないようです。お隣の朝鮮でも儒教的な考えが広まっていたため、遺跡からは入れ歯などは見つかっていません。
江戸時代の佐藤成裕の随筆で「中陵漫録」には、宗時代(960~1279年)の詩人・陸游の「歳晩幽興詩」のなかに「近聞するに医で堕歯(落ちた歯)を補うをもって業となすものあり」と書いてあると記してあるそうなので、とすると、中華王朝の宗・明の時代(960~1400年)には、義歯に類するものがあったようなのです。
ところが、北京第一医学院の周大成氏は、それを証明する義歯(入れ歯)の出現が無いのでなんともいえない、と言っているそうなのです。
朝鮮はというと、12世紀の半ばから13世紀(高麗末期~李朝初期、中国の宗・明時代)頃には入れ歯をすることを「歯種」と言ったとあります。
ちなみに歯科補綴術のことは「種歯」と言ったそうです。
朝鮮の入れ歯の技術は、時期も同じことから中華王朝から伝わったものと考えられます。
しかし、朝鮮でもこの頃の入れ歯は、遺跡や古墳などから発見されていないのです。
どうやら、これには宗教が関係しているようです。
中華王朝・朝鮮は、古くから儒教的生活様式・儒教的思想が深く根付いています。
儒教の教えでは、入れ歯をすることは忌避すべきこと、極めて卑しいことで、入れ歯などは下級階級の出身者がするものと考えられていたようなのです。
そうでなければ、高貴な人達も入れ歯を使っていたはずですし、そうなると当然、古墳・墓場から出土しているはずだからです。
紀元前から高度の文明・文化がを持っていたインドでも、入れ歯に類するものは発見されていないうえ、記録も見つかっていないそうです。
エジプトやギリシャ、アラブ周辺など、紀元前に栄えた他の国では発見されているのですから、宗教の違いというものが、こんなところにも影響していたわけですね。
日本での義歯の理論は最先端であった!
日本では、7世紀に仏教とともに仏像用の蜜蝋技術が伝えられると、それを応用した木製義歯が発展し、平安時代には僧侶を中心に使われていました。
木製義歯は日本独自のもので、紀伊国内にある衣笠山願成寺の尼僧が使った上顎用の黄楊製のものが日本最古として現存、仕組みは現代と同じで義歯と顎の間に唾液が入ることで真空になり、吸着しました。
これは現在の総入れ歯が吸着するメカニズムそのものであり、この時代に発明された技術が今も本筋となっている事に驚きです。
現存するものは室町時代の物
日本に残っているいちばん古い入れ歯は木製で、「中岡テイ(通称:仏姫)」という尼僧が使っていたものです。
仏姫(ほとけひめ)が亡くなったのが1538年であることから、室町末期には入れ歯が広まっていたと考えられています。
この木製入れ歯のことを「木床義歯(もくしょうぎし)」と言い、仏姫が使用していたものは「お歯黒」の形跡もあり、実際に装着して食事にも使用されていたようです。

これは、歯が生えていない上顎部分に吸盤のようにくっつくよう作られていたためで、ヨーロッパより約200年も早い実用化だったとも言われています。
ちなみに、ヨーロッパで入れ歯に近いものが考えられたのは江戸時代中期以降とされていますので、日本の「入れ歯」歴史の長さには驚かされますね。
江戸時代には
江戸時代においても木床義歯を作っていたのは「仏師」、仏像を彫る人でした。
耳目口科医の歴史は古く、奈良時代にまで遡ることができます。江戸時代になると名のある口中医が現れはじめました。なかには大名に召し抱えられて藩医になる者もいましたが、患者のほとんどは上流階級層だったようです。
口中医の技術は門外不出で他人に漏らしてはならず、免状を許可する証に弟子に秘伝書を筆写させていた。では庶民の歯は誰が診てくれるのかというと「入れ歯師」です。入れ歯師は庶民を相手に歯痛の治療、抜歯、入れ歯づくりを生業にしていました。
木床義歯の材料となった木は「ツゲ」や「梅」、「黒柿」で、いちばん良い材料は「ツゲ」とされていました。
顎の型は、ミツバチのお腹から分泌した巣を構成するロウを精製した「密ろう」や松ヤニを混ぜたもので取っていたようで、材料こそ違うものの現代に近い過程と言えます。
また、食紅を使って入れ歯の当り具合をチェックしたり、当たって痛い部分を少しずつ削って直したりしながら仕上げていきました。 ←今もほぼ同じことをやっています!
明治時代のはじめ頃までは、この木床義歯が使われていたようです。
明治以降に西洋から伝わったゴム製の入れ歯が伝わり、昭和のはじめには「アクリル系の樹脂」がドイツから伝わってきたことで、入れ歯は大きな進化を遂げました。
京都医療センターで口腔外科課長の吉田和也先生は、日本の木製義歯がしっかりと機能していたかを調べて論文にまとめておられます!
素晴らしい研究だと思います。いかに日本の技術が素晴らしいかがわかると思います。
中世ヨーロッパでは
ヨーロッパでは複数本の歯に対応した義歯は、15世紀には既に使われていました。
材料としては、骨や象牙を削って作ったり、死体の歯を使ったりしていたようです。
亡くなったばかりの死体の歯を売却することも珍しくなかったといいます。
型をとることが技術的に不可能だったため、これらの義歯は金属や絹の糸で周囲の歯に結びつけるのが普通で、あまり使い心地は良くなかったそうです。
特に問題は、骨や象牙を使った義歯が唾液で徐々に溶けていく点と、上の義歯の固定が難しい点だったようです。さらに全部の歯が無くなってしまった場合はやりようがなかったと思います。
近世ヨーロッパの入れ歯の安定を求める開発
17世紀のロンドンで、歯科技工士や歯科医の先駆けともいうべき ‘Operators for the Teeth’ と呼ばれる人々が出現しました。
彼らは金細工や象牙細工の職人で、外科の役割を果たしていた理容師出身でした。
彼らが作る入れ歯は、模型上で金属を圧接して床を作り、バネを使って上下の義歯を固定する方法がとられました。しかし、金合金で無いと上手く作れないため高価で、重量の問題からも適合は悪い物でした。
このような初期の義歯を使っていた人物としてジョージ・ワシントンがおり、オオシカの牙やカバの歯や他人の歯を付けて、1764年には総義歯を使っていたといわれています.
陶製の義歯は1770年ごろに開発されました。セラミックであれば色もきれいで、他人や動物の歯を入れる必要もなくなりました。


1820年には、ロンドンの金細工師 が18金のプレートに精巧な陶製の歯を埋め込んだ義歯を製造し始めました。
従来の陶製の義歯はつながった形で作られていたのに対して、一本ずつ陶器で作ったものを、土台に埋め込む形でした。
義歯製作法で大きな進歩となったのは、19世紀に開発されたゴム床義歯(硫化ゴム床義歯)です。グッドイヤー兄弟が弾力性がありながらゴムの変形が少ない硬化ゴムへ変えることを発明しました。生ゴム、硫黄、色素を主成分とし、蒸和釜(銅製のオートクレーブ)で加熱して作るものです。


これまで使用されていた金製や陶製に代わって、当時の歯科医師は特許料を払わなければならなかったにもかかわらず、操作性の良さからあっという間に広まりました。
20世紀になると
20世紀になると、現代と同じアクリル樹脂などの合成樹脂が使われるようになりました。
今までに用いられてきた木やゴムは素材にわずかな隙間があるため、その隙間に水分や汚れ、細菌が入り込んでしまうため、黄ばみが激しく、またニオイも相当なものとなっていたようです。
アクリル樹脂は、その欠点を克服できた画期的なもので、修理もしやすく安価です。
内部に金属を入れたり、残っている歯に金具をかけたりすることにより、今までの木製義歯の吸着と、陶製義歯の清潔さと、金属床に準ずるような強度と適合を得ることができるようになっていったのです。
